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ほどなくフェアナイテスは、H厩舎に連れてこられ、シービスケットと同じ並びの馬房に入れられた。
牝馬は、朝の調教でシービスケットについていける貴重な練習相手となり、牡の若駒と違って、シービスケットに愚弄されても意気消沈せず、逆に反撃した。
フェアナイテスがレースから引退したあかつきには、シービスケットの仔を産ませるのがHの夢だった。
全国の競馬記者が、マッチレースの実現を訴えはじめた。
Lは、勝者を予想する投票を開始した。
シービスケットが僅差で一位だった。
国じゅうの競馬場が、このレースの会場に名乗りをあげた。
フロリダでは、ハイァリァ競馬場が、祝日のJ・ワシントン誕生日にレースを開催できるなら、賞金を十万ドル出してもいいと口にした。
シカゴのアートン競馬場でも同じような案が検討されていた。
すると8月の暮れになって、ベイメドゥズ競馬場がHとSに電報で正式な申し出をした。
4万ドルの賞金で秋にマッチレースを行い、シービスケットに57.2キロ、一歳若いウォーアドミラルには54.4キロの斤量を課すという条件だった。
Hは受諾した。
だがLは拒んだ。
マッチレースのアイデアは立ち消えになった。
するとLがなんとも意外な挙に出た。
A競馬場の創立者であるSの強い要請を受け、1938年のサンタ戦に、ウォーアドミラルを出走させることにしたのだ。
シービスケットが今度こそ優勝をと目標にしてきた大レースである。
マスコミはわっとこの話題に飛びついた。
Sは懐疑的だった。
Lのことをよく知る彼には、あの老桧な馬主が物怖じしやすい馬に5日間の列車の旅をさせ、競馬界のマイナーリーグ戦と見なしているレースに出場させるとはとうてい思えなかったのだ。
ウォーアドミラルをしとめる場所は、向こうの本拠地以外にありえない。
Sはそう考えていた。
シービスケットは7戦連続でステークスレースに勝利していた。
史上最高の連勝記録は8連勝。
ぜひその記録を破りたいと考えたHはしかし、むずかしい選択を迫られた。
Sが予見していたとおり、1937年のサンタ戦でのめざましい走り以来、シービスケットは実質的にすべてのレースで最高の斤量を課せられるようになり、時にはライバルたちよりも、9キロ以上重いハンデを背負うこともあった。
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